という気持ち

quxie

2014年05月05日 16:26


77歳のホスピス患者と春の日だまりの中のスイングチェアで揺れていた時、「君は何が得意なの?」というような質問を受けた。多分に仕事の話とかをしていたときだと思う。そのときに、私は躊躇せず「I can express myself」と応え、その即答に私自身が驚かされた。考えて出て来た言葉ではなかったNeo skin lab 黑店

こんな風に誰かとの会話の中に突然きらめく言葉が降りてくることがある。私自身、自身を表す言葉としてそう告げたのは初めてであるし、言葉を聞いてから「あぁ、そうなのか!」という気持ちになり嬉しかったし、何故かしらありがたかった。

運動がてらで始めたダンスも結局はそういうところに行き着いた。自分の踊りが人に観られる、観てもらいたいと思っていたときは苦しかったし、自分が出せなかった。正しい振り付けを覚えようとしただけで萎縮した。でも、Ecstatic danceの『5リズム』のワークショップを取った時、初めて『自分が音になった』そう『自分が消滅した』瞬間さえ感じた。まさしくDance like there's nobody watchingだった水族

ダンカンダンスでどれだけのレパトワを踊れるかなどもう気にしないし、ただ女神の衣装を着て自分を表現できるその場が与えられていることだけでありがたい。アルゼンチンタンゴでどれだけの技ができるかを意識しないし、ただ相手とひとつになることだけに専念してればそれでいい。

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